日本の美術品の話 「しかみ像」は家康が三方ヶ原の戦い後に描かせたものではなかった! 徳川家康が、死を覚悟した戦いの一つに武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いがあります。 室町幕府15代将軍・足利義昭の織田信長討伐令に応じた武田信玄が、遠江国・三河国に大規模な侵攻を開始し、浜松城にも攻めてくると危惧した家康は籠城戦に備えて... 2022.07.17 日本の美術品の話
日本の人物の話 黒田官兵衛が初めて知った茶の味 黒田官兵衛(如水・孝高)は、茶の湯が武将たちの間で流行りだした頃、刀も持たずに狭い部屋で人と席を共にするなど不用心きわまりないといって興味を示しませんでした。 ある日のこと、主人である豊臣秀吉から茶の湯に誘われました。他の者であれば... 2022.07.04 日本の人物の話
日本の人物の話 細川幽斎が歌道を始めた理由 細川幽斎の一般的にいわれている人物像として、剣術や弓術等の武芸百般、和歌・茶道・連歌・蹴鞠等の文芸を修め、囲碁・料理・猿楽などにも造詣が深い当代随一の教養人とあります。しかし、若い頃の幽斎は、歌道は公家や女性のするもので、武士たる者が嗜む... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の戦・事件の話 川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちはあったのか? 川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われたということはあまりにも有名な話です。川中島の古戦場には馬上から剣を振り下ろす謙信とそれを軍配団扇で受け止めようとする信玄の銅像が立っています。しかし、この一騎打ちが本当に行われたのか疑問... 2022.07.03 日本の戦・事件の話
日本の戦・事件の話 川中島の戦いが12年も続いたわけ 戦国時代に有名な合戦といえば、必ず挙がるのは川中島の戦いでしょう。 戦国屈指の猛者、武田信玄と上杉謙信の両雄による戦いは今聞いても心躍るものがあります。しかし、この戦いは延べ12年も続いたのですが、信玄と謙信の戦いとはいえ、そこまで... 2022.07.03 日本の戦・事件の話
日本の人物の話 上杉謙信は本当に塩を送ったのか 「敵に塩を送る」ということわざがあります。敵対関係にある相手でも苦しんでいるときには助けるという意味で使われますが、上杉謙信の有名な逸話が由来になっています。 1567(永禄10)年、武田信玄が甲斐・相模・駿河の三国で結ばれていた三... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 北条氏康は、幼い頃は臆病者だった!? 生涯の戦いの中で一度として敵に後ろを見せたことがないといわれる北条氏康ですが、子供の頃はとても臆病だったと伝えられています。 氏康が12歳の頃、小田原に鉄砲が伝わりました。さっそく、家臣たちは皆で撃ち方の練習を始めました。それを聞き... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 毛利元就の「三本の矢の教え」は創作だった!? 毛利元就の有名な逸話に「三本の矢の教え」があります。 病床に伏していた元就は、死の間際に三人の息子を呼びました。駆けつけた息子たち、長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景、それぞれに一本の矢を渡し、「その矢を折ってみよ」といいます。... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 武田信玄が精神を統一した意外な場所 武田信玄は生涯で70回以上の合戦を行い、負けたのはわずか3回だといわれています。合戦相手の情報を前もって十分に集め、負けない作戦を立てていたからです。そんな信玄が一人で精神を統一した場所が、なんとトイレでした。 トイレといっても私た... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 閻魔大王に手紙を書いた直江兼続 『愛』という字を前立にあしらった兜で有名な直江兼続ですが、愛とは程遠い逸話が残っています。 上杉氏の家臣に三宝寺勝蔵という者がおり、下人が罪を犯したので無礼討ちにしました。するとその親族が「無礼討ちにされるほどの粗相ではなかった」と... 2022.07.02 日本の人物の話