戦国時代に有名な合戦といえば、必ず挙がるのは川中島の戦いでしょう。
戦国屈指の猛者、武田信玄と上杉謙信の両雄による戦いは今聞いても心躍るものがあります。
しかし、この戦いは延べ12年も続いたのですが、信玄と謙信の戦いとはいえ、そこまで続くものでしょうか?
川中島の戦いが12年も続いた理由と結局勝者はどちらだったのかを考察してみたいと思います。
川中島の最初の戦いの起こりは、1553(天文22)年、信濃の葛尾城主村上義清が信玄に城を奪われ、謙信に救援を求めたことから始まります。
そして最後の戦いは、1564(永禄7)年、飛騨国の国衆同士の戦いに両者が介入したことから始まりますが、信玄が決戦を避けたためににらみ合いで終わり、以後はお互いの出兵方面が変わったために衝突することが無くなりました。
この5回の戦いですが、全て引き分けに終わっています。これはお互いの勝利の目的が違っていたからです。
信玄は領土拡大を目的として出陣し、謙信は救援のために敵を排除することを目的としていました。
なので、最終的に川中島を手中にした信玄と武田により多くの被害を与えた謙信は、両者とも自分が勝者だと考えていたようです。
また、常に敵がいるということで内乱が抑えられ、団結力を強めるという目的もお互いにあったようです。
このようなことから、慣れ合いとまではいかなくても無駄に戦が長引いてしまったといわざるを得ないでしょう。
豊臣秀吉が、天下統一を成し遂げた後に川中島の地を訪れ、「はかのいかぬ戦をしたものよ」となじったという話がありますが、この時期に秀吉が訪れたという記録は無いので後世の創作だと思われます。