「敵に塩を送る」ということわざがあります。敵対関係にある相手でも苦しんでいるときには助けるという意味で使われますが、上杉謙信の有名な逸話が由来になっています。
1567(永禄10)年、武田信玄が甲斐・相模・駿河の三国で結ばれていた三国同盟を破り、駿河に侵攻を開始しました。そこで今川氏真と北条氏康は、信玄の領国への塩の輸送を禁止しました。
信玄の治める甲斐・信濃は山国で塩が取れず海側からの輸送でのみ賄われていたため、武田の領民たちは苦しみました。
それを聞いた謙信は、戦いは正々堂々とするものであって卑怯な手段を使うものではないとして、信玄の領国に塩を送るよう命じます。
1569(永禄12)年1月11日、越後からの塩が松本に到着しました。甲斐・信濃の領民たちは謙信の心遣いに感謝し、毎年この日に塩市を開くようになったということです。
国の専売化により塩の売買が禁止されてから飴市へと変わり、今でも1月上旬に催されています。
義を重んじる上杉謙信らしい逸話ですが、真実は少し違うようです。
「塩止め」が行われる以前からもともと、越後から甲斐への塩の流通はありました。
北条と今川が塩の輸送を止めたときに謙信は塩をわざわざ「送った」のではなく、単に「止めなかった」だけなのです。
これは自国の利益を守るためであって、武田の領民を助けるためではありませんでした。しかし、結果的に武田の領民が救われたことに変わりはありません。
信玄も謙信に感謝の意を表し、一振りの太刀を贈っています。その太刀は塩留めの太刀と呼ばれ、東京国立博物館に現存しています。