川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われたということはあまりにも有名な話です。
川中島の古戦場には馬上から剣を振り下ろす謙信とそれを軍配団扇で受け止めようとする信玄の銅像が立っています。しかし、この一騎打ちが本当に行われたのか疑問視されています。
この話の元となった史料は、武田方に伝わる『甲陽軍鑑』という軍記物です。
これによると1561(永禄4)年の第4次川中島の戦いでのことでした。信玄の本陣に突如、謙信が現れました。白手拭で頭を包み、萌黄の胴肩衣を身につけ、月毛の馬にまたがった謙信は、三尺(約1メートル)ほどの太刀を抜き放って三度床几に座る信玄に斬りつけました。
信玄はとっさのことで刀を抜く余裕がなく、手にしていた軍配団扇でこの攻撃を凌ぎました。
再び襲い掛かろうとする謙信を信玄の家臣の原大隈が槍で突こうとしますが、攻撃は外れて馬の尻に当たり、驚いた馬は謙信を乗せたまま走り去ったということです。
ここでまず、根拠となっている『甲陽軍鑑』ですが、これは物語であるため信憑性に欠けています。そして、上杉方の史料の『川中島五箇度合戦記』には、この時に一騎打ちに名乗り出たのは謙信ではなく家臣の荒川伊豆守義遠だったと記されています。
ただ、この戦で謙信も刀を抜いて戦っていたことが、関白の近衛前久が謙信に送ったとされる手紙に記されていたので、両軍の大将自らが戦ったのであれば大将同士の一騎討ちに違いないと噂されるようになったのかもしれません。