日本の人物の話 敵城にお泊り、伊達政宗 伊達政宗の豪胆さを物語る逸話があります。 関ヶ原の戦いの発端となる会津征伐が行われたときのことです。 家康と上杉の戦いがあることを知った伊達政宗は、秀吉に会津を奪われた因縁から家康側につくことにしました。しかし、開戦が急に決ま... 2022.07.16 日本の人物の話
日本の人物の話 瓢箪から駒を実演する伊達政宗 独眼竜と呼ばれる伊達政宗は、寡黙で勇猛な武将というイメージがありますが、実はとてもお茶目な人だったりします。 大坂冬の陣でのことです。 豊臣側との和睦が成立し、暇になった諸将たちは景品を持ち寄って香合わせをすることにしました。... 2022.07.04 日本の人物の話
日本の人物の話 黒田官兵衛が初めて知った茶の味 黒田官兵衛(如水・孝高)は、茶の湯が武将たちの間で流行りだした頃、刀も持たずに狭い部屋で人と席を共にするなど不用心きわまりないといって興味を示しませんでした。 ある日のこと、主人である豊臣秀吉から茶の湯に誘われました。他の者であれば... 2022.07.04 日本の人物の話
日本の人物の話 細川幽斎が歌道を始めた理由 細川幽斎の一般的にいわれている人物像として、剣術や弓術等の武芸百般、和歌・茶道・連歌・蹴鞠等の文芸を修め、囲碁・料理・猿楽などにも造詣が深い当代随一の教養人とあります。しかし、若い頃の幽斎は、歌道は公家や女性のするもので、武士たる者が嗜む... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 上杉謙信は本当に塩を送ったのか 「敵に塩を送る」ということわざがあります。敵対関係にある相手でも苦しんでいるときには助けるという意味で使われますが、上杉謙信の有名な逸話が由来になっています。 1567(永禄10)年、武田信玄が甲斐・相模・駿河の三国で結ばれていた三... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 北条氏康は、幼い頃は臆病者だった!? 生涯の戦いの中で一度として敵に後ろを見せたことがないといわれる北条氏康ですが、子供の頃はとても臆病だったと伝えられています。 氏康が12歳の頃、小田原に鉄砲が伝わりました。さっそく、家臣たちは皆で撃ち方の練習を始めました。それを聞き... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 毛利元就の「三本の矢の教え」は創作だった!? 毛利元就の有名な逸話に「三本の矢の教え」があります。 病床に伏していた元就は、死の間際に三人の息子を呼びました。駆けつけた息子たち、長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景、それぞれに一本の矢を渡し、「その矢を折ってみよ」といいます。... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 武田信玄が精神を統一した意外な場所 武田信玄は生涯で70回以上の合戦を行い、負けたのはわずか3回だといわれています。合戦相手の情報を前もって十分に集め、負けない作戦を立てていたからです。そんな信玄が一人で精神を統一した場所が、なんとトイレでした。 トイレといっても私た... 2022.07.03 日本の人物の話
日本の人物の話 閻魔大王に手紙を書いた直江兼続 『愛』という字を前立にあしらった兜で有名な直江兼続ですが、愛とは程遠い逸話が残っています。 上杉氏の家臣に三宝寺勝蔵という者がおり、下人が罪を犯したので無礼討ちにしました。するとその親族が「無礼討ちにされるほどの粗相ではなかった」と... 2022.07.02 日本の人物の話
日本の人物の話 明智光秀は「敵は本能寺にあり」と言わなかった! 織田信長に反旗を翻した明智光秀が、自ら率いる軍勢に向かって「敵は本能寺にあり」と発し、それを鬨の声として大軍が本能寺に向かっていく。創作物でよく見かける光景で史実だと思われていましたが、実は後に創作されたものでした。 光秀配下の武士... 2022.07.01 日本の人物の話