武田信玄は生涯で70回以上の合戦を行い、負けたのはわずか3回だといわれています。合戦相手の情報を前もって十分に集め、負けない作戦を立てていたからです。そんな信玄が一人で精神を統一した場所が、なんとトイレでした。
トイレといっても私たちが使っているような狭いものではなく、京間6畳敷きで床は全て畳張りでした。トイレというよりはもう立派な部屋です。ちなみに、京間6畳敷きとは現在の6畳よりもかなり広いそうです。
しかし、いくら広くても匂いが気になるところですが、そこは十分に対策されていて、部屋の四隅に香炉が置かれ、朝・昼・晩の三回、小姓らが沈香を焚いて消臭していました。
さらに、風呂場から樋を引いて水を流せる仕組みになっていて、排泄後に鈴を鳴らすと風呂の残り湯が流れてきました。水洗式で、水もリサイクルとは驚きのシステムです。これなら快適に籠れそうです。
信玄が閲覧する書類は国名と郡名の書かれた箱に入れられており、それを係りの近習がトイレに届けていました。受け取った信玄は一人でゆっくり考え決断を下していたようです。
トイレをこれだけ広くして書斎代わりに使っていたのは、一人で精神統一できるほかに暗殺に備えてのことでした。広さがあれば、外から槍で突かれる心配がなく、もし襲撃されても刀で応戦できます。
水洗式にしたのも同じ理由です。汲み取り式だとそこに暗殺者が隠れ、用を足すために座った途端に下から槍で突かれるということを回避するためです。ちょっと想像したくないですが、そういった暗殺方法もあったようです。
ところで、信玄はこのトイレのことを山と呼んでいました。家臣が何故山というのかと問うと、「山には常に、草木(臭き)が絶えぬから」と答えたといいます。
ユーモアセンスにも溢れた信玄公です。