敵城にお泊り、伊達政宗

日本の人物の話

伊達政宗の豪胆さを物語る逸話があります。

関ヶ原の戦いの発端となる会津征伐が行われたときのことです。

家康と上杉の戦いがあることを知った伊達政宗は、秀吉に会津を奪われた因縁から家康側につくことにしました。
しかし、開戦が急に決まったため、大阪にいた政宗はわずか50騎ほどで仙台に向かうことになりました。

仙台に向かうには、上杉の領地を迂回して進まなければならないのですが、合戦が目前に迫っているため時間もかけられません。通れる道は海側の相馬氏の領地のみでした。
とはいっても、相馬氏は以前に何度も戦った相手なので、素直に通してくれるとは思えません。

伊達家の領地まではわずか8キロほどの距離まで来ていたので、静かに走り抜けることもできたのですが、政宗はわざわざ相馬氏の居城・中村城に「一泊させてくれ」と、使者を送りました。

慌てたのは相馬氏のほうです。当然ながら「殺すべき」との意見が多数でした。
しかし、当主は意外にも丁重にもてなすようにと言いわたしました。

この対応を不満に思った相馬氏の若武者が、夜中に馬を放ち騒ぎを起こしました。敵襲を思わせ、政宗を慌てさせようとしたのです。
しばらくして現れた政宗は甲冑姿ではなく、寝間着のままでした。そして一言。

「静かにしてくれ」

それだけ言うとまた寝所に戻っていきました。その豪胆さに相馬氏は感服したといいます。

実はこの時、政宗は自身を囮にして家臣を先に国に向かわせ、国境に多数の軍勢を配備していました。
不審な動きがあればすぐに攻め込むつもりでした。

関ケ原の合戦後、家康に味方しなかったということで相馬氏は改易されそうになりましたが、政宗の「自分を安全に泊めてくれた」という弁護で救われたそうです。

例え多くの軍を配備していたとしても、その場ですぐに殺されてしまう可能性もあります。
いささか無鉄砲な気がしないでもないですが、いかにも政宗らしい逸話です。
何かと自ら行動しなければ気が済まない性格なのでしょう。

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