仙台市郊外の青葉山にあることから通称「青葉城」と呼ばれている仙台城ですが、築城主の伊達政宗は実は他の場所に城をかまえたかったようです。
関ヶ原の戦いで東軍に味方し、領地を拡大することができた伊達政宗が自身の居城を建築しようと決めたのは1600(慶長2)年のことです。
しかし、当時は城を建てるのに幕府の許可が必要でした。
大名たちは城を建てたい場所を第3候補まで提出し、その中の幕府の許可が降りた場所にのみ城を建てることが許されました。
とはいえ、狡猾な徳川家康が簡単に第1候補に城を建てさせるわけがありません。大名たちはしぶしぶ第2、第3候補の土地に城をかまえていました。
そんな情報を耳にした伊達政宗は一計を案じることにしました。
城下町の中心にあり理想的な場所の榴ヶ岡をわざと第1候補から外し、本来は第3候補だった青葉山を第1候補として幕府に提出したのです。
これで、榴ヶ岡に城を建てられるとほくそ笑んだ政宗でしたが何と、第1候補の青葉山の築城がすんなりと許されてしまいました。
さすが狸と呼ばれることはある家康ですね。正宗の策略など全てお見通しだったようです。
政宗はほかの大名たちと同じようにしぶしぶ許可の降りた青葉山に城をかまえたということです。