源義経が敵に知られたくない秘密とは
源義経は、幼い頃に天狗を相手に修行を積んだという伝説を持ち、勇猛な武将としてその名を世間に轟かせていました。
しかし、そのイメージを守るために苦労していたようです。
1185(元暦2/寿永4)年の屋島の戦いでのこと。
勢いに乗った源氏の兵たちは、馬の腹が水につかるほどまで海に乗り入れて戦っていました。
源義経も敵中深くまで攻め込んでいましたが、平家軍に船上から熊手で引き落とされそうになりました。
味方の兵が太刀を振るって何とか防ぎましたが、はずみで弓を海に落としてしまいました。
慌てて拾おうとする義経ですが、戦闘中のことなのでなかなか拾うことができません。
身の危険を顧みずに懸命に弓を拾おうとする義経を兵たちはみな止めました。
制止を聞かず、やっとの思いで弓を拾い上げた義経を老兵が諫めました。
「例え千金万金に値する弓であったとしても、そのお命に代えることはできないでしょう」
それに対して、義経はこう答えました。
「決して弓が惜しかったわけではない。この弓が2人や3人がかりでやっと弦を張れるような強い弓であったならば、わざと敵に拾わせただろう。だが、このように弱い弓を敵に拾われ、これが『源義経の弓』だとあなどられるのは耐え難いことである」
それを聞いた源氏の兵たちは、みな感心したということです。
当時は、どれほど強い弓を引けるかで勇猛さを測っていたそうなので、弱い弓を敵に拾われるわけにはいかなかったのでしょう。
源義経の身長は、一説によると150cmほど。五条大橋で女性に化けるほど華奢な体格は、大人になっても変わらなかったようです。